2007年10月08日

蕨風景  土の城

                           

















       蕨の城は荒川の自然堤防の上に築かれ、はしごのような障害の空堀を掘った土の城。堀と土塁で出来ていた(天守閣も壮麗な石垣もない。)                          土塁は江戸初期まではあったがその後取り壊されて、今はそのよすがも無い。                                   要害の松の写真奥右の(中央3-26)辺りは要害で物見の跡と伝えられ                     又大正3の県史跡調査報告では総門跡とある。 近くの高山と呼ばれる土塁の上に            物見やぐらがあったと口伝もある。(「蕨いま、むかし」より)但し確定でない。                                   大永6(1526)の記録に蕨城の橋と門が焼け落ちたとある。(本土寺過去帳)             その頃、上杉(扇ガ谷)と小田原北条との南関東の覇権をかけた激しいせめぎ合いの中にあった。    (江戸城(小規模)、、蕨城、岩槻城、川越城等、。)

  

Posted by piaaroad at 19:44雑記帳