2007年05月24日

蕨風景 蕨城址(じょうし)公園

蕨の殿様(渋川公)は清和源氏足利氏の一門で、鎌倉時代に上野国群馬郡渋川に土着したことによって、渋川氏を名乗ったという。南北朝のころ足利尊氏に従って西国に転戦し                   足利幕府成立前後関西に移った。 
また 九州探題を代々努めた高格の家柄。                                         室町時代中期。                                  全国的に家とく争い、権力争いが ひん発しひどくモラルが地に墜ちた時代。                    足利幕府は 関東の大乱を収拾のために(1456年)渋川義鏡(よしかね)を関東探題(たんだい)として都から蕨 (祖父が武蔵守のとき蕨郷上下を拝領)に下向させ、         将軍の令を関東の諸将に知らしめ、よって古河公方(、関東の南下を繰り返す、足利の一派)に対抗させた。。                           築城それ それからでもほぼ550年.                     渋川公は「蕨の御所」(里見軍記)と呼ばれた武家貴族。    しかし、蕨城の良い時期も60年程だったという。         その間に都の「応仁の乱」が、全国に飛び火し戦国大名(小田原の北条早雲atc)の時代に突入してしまう。                               
  


Posted by piaaroad at 07:39雑記帳