2007年01月19日
蕨風景(宝樹院)
永禄10年(1567)城主渋川義基(よしもと)は、北条方の援軍として房総の里見氏との三船山(千葉県君津市)をめぐる戦いに出陣しその戦闘で殿(しんがり)をつとめ戦死しました。 その後、家臣達は帰農し塚越新田開発に勢出し今も子孫が蕨に在住しております。
小田原北条氏が秀吉によって滅ぼされると
天正18年(1590)、未開の地 関東には徳川家康が駿河・遠江・三河・甲斐・信濃の5ヶ国から国替えされて入封してきました。 蕨は天領(徳川の直轄地)になり蕨宿として発展しました。打ち捨てられた蕨城跡には徳川家康の
鷹狩りの為の館が建てられました。(それゆえにこの辺を御殿町といいます。)