2011年10月16日
祭礼



快晴、最高気温は28℃の真夏日の今日、
蕨市では各町会からお御輿が出ました。
例年と違い駅前の集まりが無く、神社に集まって
帰っていくため、わが商店街を通るのも旭町町会のみ。
威勢のいい掛け声も続かないと、ちょっと寂しいですね。
ピアロード商店街では給水所を設け、子ども御輿と山車には
ジュースとお菓子の配布、
大人御輿には冷たいレモン水とウーロン茶を配って
疲れを癒してもらいました。
大変暑い中、みなさんお疲れさまでした。
2011年01月30日
にぎわい日曜日の夕べ in 旭町

毎月最後の日曜日、旭まちづくり夢工房の皆さんが
中心となって、こんな楽しいイベントが行なわれてます。
今回は、味自慢の美味しいおでんや
フランクフルト、甘酒やお酒など

そして鳥勇さんの激ウマの焼き鳥も登場して
おおいに賑わいました

メチャクチャ寒かったのでお客様が見えるか心配
でしたが・・・テントの中のベンチは満席に

若いカップルやファミリーが多かったのが印象的でした。



2009年03月08日
朝市
天気予報は午後から

朝早くから出店者のみなさんが準備を始め、9時からスタート。
たくさんのお客様が集まりました。

当商店街のお店も出店しました。鳥勇さんは大行列。

おざわ金物屋さんも大盛況でした。

わらび園さんからはほうじ茶のいい香りが・・・

青年部さんの名物、「オリジナル茶漬け 和楽っ茶って」と「えのちゃんヤキソバ」

青年部さんの野菜直売は、開始後30分で完売でした。
この朝市、今回が初めての試みだそうで、市内の商店が一堂に集まり賑やかに盛り上がりました。
みなさんは、行かれましたか??
次回は5月の予定だそうですよ。楽しみですね!
2008年10月20日
蕨ピアロード商店街・・・昔の様子
私たちのピアロード商店街の写真もありましたので、ご紹介します。
これは昭和何年頃でしょう・・・?
私は46年生まれなので、もちろん当時この世に生を受けていないのですが、
もしご存知の方がいらっしゃいましたらコメントで教えてください!!

この写真は、現在のファミリーマート交差点です。
(尚、後日コメントを下さった広尾様から、ここは桜橋だという情報をいただきました。
写真からも、角のパン屋さんの看板が『かどや』さんだとわかりました。もうしわけございません。)
こんなに立派なアーチがあったのですね。
それに、橋が架かっていたなんて・・・ここは川だったのですね。
右側の、兵隊さんが乗るような3輪ジープが時代を思わせます。

こちらの写真は、アーチを入って少し行った所ですね。
左側手前には『寿司栄』さん、右側には『武蔵屋酒店』さんがあります。
お母さんが子どもを乗せている乳母車がスゴイですね~~
当時の商店街は、車が対面通行だったのですね。

この日記を書いている私、マスヤの者なのですが・・・
『マスヤ糸店』、レトロな味を出していますね!
こんなに古い写真で当時の店の姿を見られるなんて、思ってもいませんでした。
お買い物は 『蕨ピアロード商店街』で!
2008年08月08日
驚愕のgoogleマップストリートビュー
・ Google マップ日本版に「ストリートビュー」機能が加わった。
・ これは道路に立った 目線で地図の街並みを360度写真表示できるサービスで、表示されている「ストリートビュー」というボタンをクリックすると、 対応する道路が青く表示される。 さらに地図を拡大すると人の形をしたアイコンが見えてくる。これをクリックすると、
ストリートビュー画面が現れる。ドラッグすれば表示する地域を移動できる。
比較的細かい道路もストリートビューに対応している。

2008年07月20日
こんなページを見つけました
日程は、 8月7日(木)~10日(日) です。
そこで・・・こんなサイトを見つけました。
『レッツ・エンジョイ・東京』 ~東京のおでかけを満喫しよう~ というページです。
そこに、なんと蕨の機まつりの情報が掲載されているではありませんか

今年は戸田・板橋の花火大会ともずれますし、たくさんの人出で賑わうことでしょう・・・

2008年01月01日
2007年12月25日
追悼 熊井啓監督
と感慨にふっけった。
熊井啓監督といえば、
「帝銀事件」(731部隊復員兵の関与)、
「下山事件」(国鉄の大量人員整理、GHQの圧力)など戦後の闇をテーマにした作品が多い。
「日本列島」戦中、大陸で暗躍した謀略機関(登戸研究所)と「偽ドル札事件」「GHQの治外法権」 「海と毒草」 (戦争中の九大医学部の米兵生体解剖事件)
「サンダカン八番娼館」 (貧困により犠牲を強いられる女性達)等 重い作品が多い。 明るい映画といえば「黒部の太陽」(黒四ダムのずい道建設)くらいだ。
それでも骨格の太い映画に引き付けられた。 日本映画の巨匠の一人。
2007年11月03日
本日(11/3土)宿場まつり
2007年10月13日
2007年10月08日
蕨風景 土の城
蕨の城は荒川の自然堤防の上に築かれ、はしごのような障害の空堀を掘った土の城。堀と土塁で出来ていた(天守閣も壮麗な石垣もない。) 土塁は江戸初期まではあったがその後取り壊されて、今はそのよすがも無い。 要害の松の写真奥右の(中央3-26)辺りは要害で物見の跡と伝えられ 又大正3の県史跡調査報告では総門跡とある。 近くの高山と呼ばれる土塁の上に 物見やぐらがあったと口伝もある。(「蕨いま、むかし」より)但し確定でない。 大永6(1526)の記録に蕨城の橋と門が焼け落ちたとある。(本土寺過去帳) その頃、上杉(扇ガ谷)と小田原北条との南関東の覇権をかけた激しいせめぎ合いの中にあった。 (江戸城(小規模)、、蕨城、岩槻城、川越城等、。)
2007年06月15日
蕨風景 蕨宿
江戸時代の流通は「 宿場ごとに人馬を交替して運ぶ「伝馬制」。」 そのため、蕨宿は「常時、人足(にんそく)50人、馬50頭をそろえおく」きまり。それに本陣が二軒、脇本陣が一軒。 これは回りの村落にとっては大変な夫役と馬の提供で私の家も四代前まで代々助郷(すけごう)に借り出されて次の宿場まで荷役をさせられた。 蕨宿と助郷村との間で争いが絶えなかったとある。
2007年06月05日
2007年06月02日
うわさの領収書
これが うわさの35年前の国民年金の領収書です。(月額550円です。)
それでも3年分未納なんです。それで調べたら国民年金の任意加入 という 制度があるんですって。 「あ~よっかった」 年金についてのシュミレーションその他問い合わせは社会保険庁のHPがあります
2007年05月24日
蕨風景 蕨城址(じょうし)公園
蕨の殿様(渋川公)は清和源氏足利氏の一門で、鎌倉時代に上野国群馬郡渋川に土着したことによって、渋川氏を名乗ったという。南北朝のころ足利尊氏に従って西国に転戦し 足利幕府成立前後関西に移った。
また 九州探題を代々努めた高格の家柄。 室町時代中期。 全国的に家とく争い、権力争いが ひん発しひどくモラルが地に墜ちた時代。 足利幕府は 関東の大乱を収拾のために(1456年)渋川義鏡(よしかね)を関東探題(たんだい)として都から蕨 (祖父が武蔵守のとき蕨郷上下を拝領)に下向させ、 将軍の令を関東の諸将に知らしめ、よって古河公方(、関東の南下を繰り返す、足利の一派)に対抗させた。。 築城それ それからでもほぼ550年. 渋川公は「蕨の御所」(里見軍記)と呼ばれた武家貴族。 しかし、蕨城の良い時期も60年程だったという。 その間に都の「応仁の乱」が、全国に飛び火し戦国大名(小田原の北条早雲atc)の時代に突入してしまう。
2007年05月19日
2007年05月08日
2007年05月01日
蕨風景 (蕨駅)
正岡子規の若き晩年、病床の壁に菅笠(すげがさ)が一つかけてあって、それは「明治24年暮れ、蕨駅のあたりにてにて買い求めて、忍、熊谷、川越、松山の吉見百穴をみて帰りたるむかしのなごり、。」とこの旅を終生の思い出にしていたそうです。 蕨の昔語りでは「この年は駅は開設されておらず、中仙道蕨宿ではないか。」と疑問を投げかけています。司馬遼太郎の「坂の上の雲」では鉄道にて旅行し蕨駅前で買ったことにしてあります。 蕨駅の開設は明治26年 (明治政府が出来てから26年後には蕨駅が出来たっていうのは驚きです。群馬の絹いとや国営の富岡製糸工場の輸出品のルートの確保のため) 心よき青葉の風や旅姿 (子規)
( この句は蕨とは関係ありません)
2007年04月20日
八重桜満開
ピアロード商店街の裏に旭町公民館があります。
そこの庭でソメイヨシノにつづいて毎年八重桜が満開に咲きます。
みるから重そうなたわわに咲いてます。これが咲き終えると、初夏の気配が感じられます。
もうすぐゴールデンウィークです。ぜひピアロード商店街にも足を運んでください。
お待ちしております。
2007年04月05日
駐輪禁止
駅前、商店街で悪名高き違法放置自転車。
ピアロード商店街入口付近のスナップです。以前は人が通行出来ないくらいの放置自転車でいっぱいでした。
それが今は管理の方々のお蔭様と、商店街で設置した駐輪禁止のコーンの効果もあってか、ごらんのようにスッキリ!!
継続は力なり!!
管理してくださる方々に感謝!!
これからも利用者のかたのご協力宜しくお願いいたします。